DOUBLE FAMOUS |
DOUBLE FAMOUS / Esperanto
1998/10/24 ON SALE
RSBP-1(CD)
| 彼ら(リトル・クリーチャーズ)の音楽と出遭ったのは、沖縄で暮らしている頃であったので、彼らのCDを聞くのみでライブを見に行くことはなかった。 その後、UAのライブ版に青柳くんの名前を見つけたりと彼らのことは気になっていたのだが、今回表現方法を変えて(青柳くんの言葉を借りると”新しい人種に変化して”と言うのが正しいのか)私の前に再び登場した。 それが、ダブルフェイマスのエスペラントである。 |
ライナーノーツより
| こんな経緯だ。 どこの都市にも僕が歩き回る素晴らしいセレクションのレコードショップが何軒かある。 過去にはもっと素晴らしいことに、自分が必要としているレコードに対して、来店している客は興味を示していなかったため、それらは棚の下のダンボールに(10枚まとめていくら)ということになっていた。僕とSENは(DOUBLE FAMOUS最初のベース弾き)は、そこから安値で手に入れたレコードを持って、91年頃から、[ZOO]というクラブで繰り返しかけた。そこでブートレック紛いのカリブ、アフリカ大陸、中南米音楽をコンパイルしたテープを作って売ってたりもしていた。 時を同じくしてウクレレデュオが大学の教室を歩き回りながら謡い始め、何ヶ月後には8人編成になっていた。これがDOUBLE FAMOUSの原形である。構成員の過去には、アフロバンド、スカオーケストラ、REGGAE MC、JAZZ COMBOがあった。まずとにかくいろいろな国のダンスホール楽団(僕らの初期はそういった街の楽団を目指していた)の曲や民謡を、全然違った楽器編成とアレンジで、少しずつレパートリーにして[ZOO]で演奏していった。丁度それは新しい人種を創造するように。 最終的にDIVA(歌姫)が加入してからのグループ活動は、[ZOO-BRILLIANT COLORS]のDJと共に、[SIGN-OFF AT ELECTORONIC CAFE]-SEN主催-に活動の場を動かした。そこで様々なアーティスト同士が交流をするようになる。その頃の僕らの周辺の動きを伝えるドキュメントとしてCD[SIGN OFF FROM AMADEUS]-MIDI CREATIVEがある。 それからあらゆる会場で、50人から800人位の人々を前に演奏した。自作の曲もどんどん増え、膨れ上がったレパートリーを選んで録音するまでに、最終的に5年の歳月がかかってしまった。そして、それはメンバーがレコード屋を探し歩いても、見つからなかったレコードになった。 人体を構成しエネルギーを司る食物を、僕らは音を聴き漁るように貧欲に摂取している。 そして、マインド精神より先に、細胞は世界の料理によって、新しい人種に変化している。
TAKUJI AOYAGI
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| 本人の了解を得て、全文を記した。 シンプルな内容ではあるが彼らの活動経緯を説明するには十分であり、彼らがレコードショップでレコードを漁る姿が想像できる。(もちろん、有り得ないことではあるが)私の横で黙々とレコードを探している彼が青柳くんであったかと想いたくなるような親近感を抱かせる。 文章は「そして、それはメンバーがレコード屋を探し歩いても、見つけられなかったレコードになった」と締められる。彼らのこの作品に対する自信と満足のほどが覗われる。 きっと、多くの音楽関係の雑誌やWebによって、ダブルフェイマスのエスペラントは紹介されるであろう。 しかし、彼の文章の方が、より多くの人を引き付ける。魅力のある文章である。 音楽だけでなく、文章表現でも非凡なところを見せられ、今後もますます目が離せない存在になった。 |
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やはり未だに、CDというデジタルの媒体はアナログの魅力を表現することは出来ないのか? ダブルフェイマスのLIVEを観て、改めて考えさせられた。 皆それぞれが、彼らの音を楽しむであろう。私は、彼らの初期の目的である”いろんな国のダンスホール楽団”を期待して青山に向かった。そして、期待は裏切られることなく楽しい一時を過ごすことが出来た。 「このグループを楽しむのはアナログでなくてはならない(=生の演奏でなければならない)」そう感じた。 |
T&M Research & Institute
Takayuki "King LELE" Suzuki
1998/11/20