赤土汚染はなぜ起きるのか、その原因と現状

(写真提供 県水産業中央会赤土等流出防止対策作業部会)

1993年 本島北部名護市の土地改良現場。
 沖縄県の赤土汚染の歴史は沖縄島が日本に復帰した昭和47年から始まったと言える。
本土復帰後、27年間に及ぶ米軍統治下の後れを回復するため、あたかも「本土並み」を合い言葉のように復帰特別措置法が制定され、90パーセントもの高率補助事業である沖縄振興開発計画が実施された。

 公共施設整備や農地造成としての土地改良事業などが急速な勢いで始まり、ブルドーザーで山を切り開き谷を埋める各種開発工事が、工事中や工事後も広大な面積の裸地を作りだし、降雨の度に土砂が海に流出するようになった。

 南西諸島では、島の河川が極端に短かく開発現場から海までの距離がほとんどないために短時間で土砂は海に到達してしまう。





1994年 石垣市西表島東部 、土地改良現場
から沢に垂れ流しされ堆積している土砂。

 南西諸島の赤土と呼ばれる土や灰色の粘土層土は数ミクロンと粒子が微細で水に溶けやすく、川などの淡水域では沈殿しにくく海水中では簡単に沈殿してしまう性質をもっている。

 開発中の現場や土地改良事業などが終わった裸地に南西諸島特有のスコールのような豪雨が降ると、土砂は容易に雨水に溶けて流れ川から海へと短時間のうちに濁水となって流出し、海を赤く染めてしまう。

 特に、農地としての土地改良事業などは畑の排水の利便性が重視され、県は畑に3度から8度の傾斜角度もたせた。
 畑に降る雨水を素早く側溝に流れるように設計し、沈砂池で濁水を止めようとの設計は、結果としてコーヒーのフィルターも通過するほどの微粒子である土砂を止めることはできなかった。




1993年 土砂が堆積し赤い海と化した本島北部
名護市の海岸 。(晴天時に航空撮影)

 沖縄県は南西諸島の特異な気候風土を考慮することもなく、安易に国の砂防ダムの設計基準(森林法による砂防ダム0.2mm以上の砂粒子の沈積基準)を導入したのも、土砂汚染を引き起こす大きな原因となった。

 県が防止対策として導入している沈砂池は土地改良事業が完了すると、土地改良事業組合の農家に沈砂池の維持管理と一緒に引き渡されるが、農家も維持管理の費用捻出が出来ず放置されてしまう場合が殆どである。

 1995年7年に罰則の伴なった 県赤土等流出防止条例 が新たに施行されたが、国、県、地方公共団体の行う公共事業は罰則の適用除外となり、汚染が出た場合は「協議する」にとどまっている。
これでは条例違反をしても罰則が適用されるのは民間人のみとなり、公共事業などからの汚染が多い現状からは防止条例だけで赤土汚染が止まることはない。




1996年 沖縄本島南部、与根海岸の一部、
死に絶えた珊瑚礁の海底にナマコが残った。

 1997年11月、条例施行後の経過として県環境保健部(現在は福祉保健部)は「個人開発で無届けや無対策の事業があるため、個人レベルでの条例の周知徹底が必要」と、あたかも赤土汚染は農家の責任であるかのような発表をした。

 雨が降るたびに畑の表土と農薬や肥料が流出するような農地を県から引き渡され、毎年、土地改良事業費の個人分担金を支払わされている農家も明らかに被害者である。

 赤土汚染の起こる最大の原因は県開発サイドに赤土土砂を流しているという認識が希薄であり、事業実施に際して環境アセスメントも実施せず、しかも海を破壊している加害者がどこにも見えないことである。

 そして、守らせるべき県環境保全室も、対応人員が少なく「土砂は流さないようにしている」とする開発側に押されて対策が後手にまわっていることもでもある。