失礼しました。どうぞ頑張ってください!


19 July 2000


私は下の「提言」をその病院の院長さん宛に、”良いところがたくさんあるのに、貴病院のファンの一人としてとても残念”との簡単なメモをつけて親展で郵送させて頂いた。それから10日ばかり経った昨日、院長さんから図らずも丁重なお礼と、その後の処理について記したお便りを頂いた。私は読ませて頂いてこの病院はこれからきっときっと地域の人々にも更に親しまれ繁栄するだろうと心から思った。もともと素晴らしい病院なのだから。



「ある病院への提言」


11 July 2000


  3ヶ月ほど前に人間ドックに入った。7年前にもこの病院のドックで診て貰ったとことがあったが、今回は胃カメラや検査の機器をはじめ、人間ドック関係はすべて1カ所、見晴らしの良い8〜9階に置かれており、検査が終わってからの昼食も、眼下に太平洋を見渡せるゆっくりとした眺望の素晴らしいラウンジで、環境としては抜群。それに何と言っても、色々面倒を見ていただく看護婦さんや検査の技師の皆さんがとても親切、実に細やかな気配りと誠意溢れる対応が見られた。言うならば受診者の立場に立った心くばり、対応が随所に窺われ本当に気持ちの良い一日を過ごさせて頂いた。

機器や検査室、そしてロッカールームなど、物理的環境の改善はお金をかければ可能である。でも伝統、習慣、雰囲気、事務処理、人の対応など目に見えない、今ふうにいえば、ソフト的な環境というか、バーチャル環境の改善は、お金をかけたからといって簡単に出来るものではない。それは人の"心"が関係しているから。

検査終了後のドクターによる総括的な説明、それに綺麗にプリントされて後日郵送された診断結果に従い、再検査のためその病院を訪ねた。病院を訪れる人々は、玄関の真ん中にどんと構えている総合受付で先ず手続きをしなければならない。所が、この受付の人たちが、はっきりと言えばまったく「ダメ」。

何がどのように「ダメ」なのか。「ダメ」の要因は色々あるが、一口で言うと、この人たちの接客のマナ−というか、訪問者(患者)との対応の仕方が問題。私の申し上げたいことは、この事務職の人達の接遇の言葉遣いとや態度が悪いと言うのではない。もちろんそれもないとは言わないが、そんな問題ではない。問題はマナーとか技術以前の問題だと思う。この人達の応対を見る限り、「こころ」がまったく欠けているとしか思えない。この人達は、給料を一体全体誰から貰っていると思っているのだろうか。院長や病院から貰っているとでも思っているのではないだろうか。病院に来て頂く患者や病院を利用する人々、すなわちお客さまから頂いていることぐらい理解できないのだろうか。病院はこんな基本的なことを教えていないのだろうか。他の人々に対する応対ぶりをじっと観察している限り、私への対応の場合と基本的にはまったく同じように思えた。忙しいのかも知れない。独りで何役もこなさなくていけないのかも知れない。恐らくそれなりの理由は色々あることだろう。でも、要するに接遇用語とか応対のマナー・態度とかというような問題以前の問題であり、相手の立場に立って考えることが出来ない人たちのように見受けられた。人として思い遣りの心に欠けているのではないだろうかと思う。

私は今回の人間ドックの後、この病院で2回診察をして頂いた。一人のドクターは本当に丁寧に親身になって診察して頂き、私の申し分というか我が儘とでもいうべきことを非常に穏やかに、且つ親しく聴いて頂いた。そしてご親切に分かりやすくご指導を賜った。だが、もうお一人のドクターは、まったくダメ。基本的には「総合受付」の方々とまったく同様。挨拶をしても無視・無言。言葉は最小限。お尋ねしても答えはこれまた最小限。患者に対する態度・言葉ともにまったく自己中心。診察後、通常病院でよく聞く「お大事に」の一言も無い。私は心の中で何と不親切なドクターかと思ったが、それでも丁寧にお礼を申し上げ最敬礼をして席を立った。もっともドクターはあっちを見ていて私なんかに目もくれなかったが。月曜日の昼下がり。別に混んでいたわけではなく患者は私の他に小さな4歳ぐらいの女の子だけ。世間ではこんな状態をまったく「暇」と呼んでいる状態であった。社会ではこのドクターのこのような態度を"横柄"といっているが、もう2度と診て貰うつもりはない。

これまで何カ所かの病院の「人間ドック」に入ったが、今回のこの病院のドックは今までのどこよりも素晴らしく最高の部類に入る。もっとも欲を言えばきりがなく、改善して頂きたいところもあるが、とにかくドックは最高。しかし、残念なことには、それ以外の分野は最低としかいえない。失礼とは思うが、何がどのようにダメなのかは、もしご要望があれば詳しくお伝えしたいとは思う。たまたま私の評価はたった2回の体験によるもので、何れも偶然が重なったのかも知れない。

例えばこのドクターの場合は、きっと卓越した業績を持ち、専門医として非常に優れた方なのかも知れない。しかし企業で言うならば無気力、無関心。いわゆる自己中心型の協調性の欠けた欠陥社員に分類されるタイプだと思う。今までお節介とは思いながらも声高らかに知人友人にこの病院の人間ドックは最高だ・・・と一生懸命話してきた。誰から頼まれた訳ではないのだが。でも、それにしても素晴らしさはドックだけであったようだ。受付の人々の応対はダメ。一人のドクターはすばらしい応対をしてくれたが、もう一人のドクターは最低。だから、これから私は「ドックは最高」。でも、「総合受付の応対は最低」と必ず言うことにする。そうしないと嘘になるから。

最高と最低の違いはまったく簡単にして単純。医者とか看護婦とか受付とかの職務に関係なく、先ず人間として「いたわりの心」「相手の立場を思いやる心」すなわち「思い遣り」であろう。こうした「人を思いやる心」は従事する職業の如何に関わらず働くものすべてにとって、必要な基本的資質であろう。

もしこの人達がボランティアとして社会事業でもしているならば別であろう。しかし、お客様からお金を頂いているならば、常にプロフェッショナルとしての最高のQUALITYが要求されることは言うまでもない。この病院における問題、ほんのちょっとした「人」としての基本的なこと。すなわち「心遣い」、「心配り」によって解決できることがたくさんあるものと思う。ドックは最高で素晴らしいだけに、その他の分野のプアーさには本当に驚かされ、また悲しく思っている。


             

「豊かな時代」

5 August 1999

  「豊かな時代」になった。そして多くの人々は、まったく当たり前のような顔をしてその豊かな世界で暮らしている。  かって、私たちの世代が若かった時代には 「貧しさ」 が付きものであったような気がする。  貧しいけれど、若者には貧しさを上回る元気があり、未来に希望があった。 それに今と違って時間だけは一杯あったような気がする。 薄暗い電灯のともった下宿屋の小さな部屋の中で、畳の上に積み重ねた本の山に囲まれ、りんご箱を机代わりにして勉強していたあの時代。 アルバイトのお金が入ると、生きている英語の勉強のためと称して、映画館に行って最前列に座り、朝から晩まで、スクリーンから流れくる会話に耳を傾け、繰り返し繰り返し一生懸命練習をしたことを今でもはっきり思い出すことができる。 貧しさがちっとも苦にならず、「そのうちなんとかなるさ」 とその日暮らしをしていたあの時代が懐かしい。

  お金以上に大事なものがあるんだと自分に言い聞かせながら暮らしていた。 「貧しさ」 は自ら求めたものだったと思うが、でも、 「心」は豊かで、純粋なものが当時の若者らしさの特徴の一つであったように思える。

  今日、私たちが豊かになったのは非常に結構なことだ。 しかし、私たちの時間もそれによって細切れになって、しかも追いかけられるようになってしまった。 それ以上に未来に夢を抱けず、何となくその瞬間、その瞬間だけに生きているような人々が、年代を問わず猛烈に増えてきたように思う。 ものの「豊かさ」が私たちの心の豊かさを奪ってしまったのだろうか。





  《このところ、この考えについて多くの方々からいろいろメールを頂いています。ありがとうございます。》   (1999.8.5)  



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Updated 11 July 2000